最近どうもいかんなあ感あります。
 ここは俺のチラ裏(かつて一度たりともチラ裏でなかったためしがあっただろうか)なので書きたいこと書きますけど、モチベーションみたいな話です。
 孤独、というとおおげさですけども、まあ手軽にコミュニケーションを取れる相手がいない状況ですよね。俺、プライベートで日常的に人と会うということがほぼゼロなんです。たまーにオフで人と会うくらい。まあ配偶者の人はいますけど、それ以外はほんとにだれもいない。自分の趣味の側面においては、ネットの向こう側にしか知人がいないんですな。で、そのつながりを希薄化させると、実質上、俺はキーボードに向かってなんかひとりで打つ以外に、いっさい趣味に関してなにかを語る手段を持たなくなる。
 そうすると、ウィキペ見る以外にネットに接続する必然性すらなくなってくる。で、ここまで来ると、趣味ってのは完全に「自分ひとりだけの世界」の話になるわけです。世間がどうあろうともまったく関係ない。本当に自分の世界だけで完結してしまう人ってのもたまにはいて、俺は、全体のベクトルでいうとそっちに近いタイプなんですが、そこまで完全体というわけでもないです。ときによっては人となにかを共有したいなあと思うこともある、くらいです。
 その機会がないところに文章を書く理由ってのは発生するわけです。これは趣味でなくても、自分の内部の社会化されない部分すべてにおいていえます。
 ところがですね、めんどくさいことに、書くための動機の一部に「親しい人に読んでもらいたい」というのもあるのです。俺はわりとどこにでも文章を放り投げてそのまま放置するタイプで、そのなかにはおそらくそれ相応の商品価値(PV含めて「読む人を集める力のある文章」みたいなこと)があるものもかなりあるはずなんですが、そこのとこにはほとんど興味ない。
 俺とても木や石でできているわけではなく、どちらかというと陰茎は肉欲でできていますので、読まれたくないわけではないです。多くの人に読んでもらえればそりゃ嬉しい。しかし同時に「だれか俺を知っている人が読んでくれればそれでいいや」ってのがあって、ふだんはこっちが優越する。あと拡散するとめんどくせえってのもある。
 そしてさらにめんどくせえことに、読み手として「多くの人」を意識しないと、文章ってのはどうしても鈍る側面があるのですな。
 これ、仕事なんかでも幅広くいえることじゃないかなと思うんですけども、まず根底にあるのは「こんなことをやったら人が喜ぶんじゃないか」「こういうものが世界を変えるんじゃないか」みたいな部分で、これはその人の内部の子供がそれを為す。あるいは稚気といってもいいかもしれない。ま、仕事のすべてがそうであれば一種の理想世界であるには違いないですが、モノになる仕事の動機というのはだいたいそんなものだと思っております。
 そしてそれを組み上げるのは知識と経験です。あと体力か。これ重要な。
 そんで、なにかが完成する。商品でもサービスでも、あるいは建築物でもなんでもけっこう。とにかく人に売るべきなにかができあがる。ここで一種の自己満足があるわけです。
 しかし仕事にはその先がある。それが売れて、買った人が喜ばなければならない。で、喜ばせるためには自己満足だけではどうしようもない。完成をめざすその途上では、自分の趣味にあわないこと、気に入らない要素なんかも入れなきゃいけないかもしれない。そうやって総合的に「自分を喜ばせ」「他人を喜ばせる」ものだけがよい商品として世に流通する。

とまあ、そんなふうに思うわけです。
 でもこれたぶん仕事に限ったことじゃない。
 趣味でもやっぱり同じことで、俺の場合は文章を書くことがそれに該当しますけども、高いレベルでの自己満足を得るためには、自分だけでも、相手だけでもだめなんですな。で、その高い自己満足を得るためにはバランス感覚となんらかの方法論が必要で、仕事だと「金稼がないと死ぬ」という強制的なクソ馬力のあるモチベーションによって必然的に達成される。あくまで理想論ですよ?
 趣味だとそういうものがない。なんとなれば趣味ですんで、換金性みたいなのを拒絶したりもするわけです。そうすっとモチベーションも方法論もうまいこと蓄積されない。
 ここんとこどうしていくかなーというのが俺の現在の課題です。開き直って文章で金稼ぐことをめざせばいいんですけど、それにも忸怩たるものがある。なんつーか、残り時間考えると、悩んでられる時間もそう長くはないので、とりあえず目的意識としてですね「文章でなんかやる」ということを常に考えてなきゃいかんなーと思いました。