朝8時起床。まずは店内の商品のホコリ取りからスタートする。商店街のなかの小さな文房具屋とはいえ、町でただ一軒の店ということもあって、あらゆる需要に応えなければならない。繁盛している店とは逆に、商品そのものの売上の金額よりも「期待して来る客を裏切らない」ということがなによりも店を長生きさせる秘訣だそうだ。必然的に商品の種類は増える。俺はちゃんと把握してはいないが、取り扱い品目は1万以下ということはないだろう。その多くがいったいいつ仕入れたのか記憶にすら残っていないようなものだが、どういうめぐり合わせか、半年に一度くらいはどんな商品でも脚光を浴びるときが来る。そのときのために、商品は常に可能な限り新品の状態を保たなければならない。
 ま、こんなことが理屈じゃなく実感としてわかったのは、店を引き継いで1年くらい経ってからのことなんだけど。
 9時。妹が仏頂面で2階から降りてくる。15歳の妹がなぜこんな時間に家にいるかといえば、高校に通っていないからだ。もふもふのスリッパをつっかけて、薄いピンク色のパジャマのうえに真っ赤な半纏をはおっている。お世辞にも色気があるとはいえない。
 冷蔵庫のとってに手をかけて、妹の文(ふみと読む)は、扉を開けた。そして閉めた。その行動に意味はなかったらしい。
「……」
 と思ったらあったらしい。
「プリンない」
「昨日食っただろ」
「……」
 ああうんわかるよ。お兄ちゃんわかる。その顔に浮かんでいるのは「食べてなくなったならお兄ちゃんが補充してくれて当然なのになぜそうしてくれなかったのか」という非難の表情だね。せっかくのかわいい顔は腫れぼったくなっているし、仏頂面でかわいさ5割減だが、そこがかわいい。
「……なに」
「いや、今日も文はかわいいなあと思って」
「うざ」
「うざくないよ。かわいいよ」
「……もういい」
 うん。自分でもなんか脳の構造おかしいんじゃないかと思うんだけどね、その憎まれ口とか仏頂面とかわがままなところとかお兄ちゃん的には全部かわいいポインツなんだ。ちなみに文のこの態度は、よくある叙述トリックっぽいデレのフェイクではなく、かなり本気でうざがっている。まあ寝起きでいきなりかわいいかわいい連呼されたら百年の恋も5分くらいで飽きるかもしれない。それに文のデレはこんなレベルのものではない。想像したらちょっと肉欲出た。
 というわけで遅めの朝ごはんである。昨日は夜は、野菜炒めに筑前煮、どういう経路で家にあったのかよくわからない崎陽軒のシューマイがちょっと食卓に花を添えた。その残りの野菜炒めに冷凍のシーフードミックスを加えてあんかけっぽくして焼きそばにぶっかけて、五目やきそば風のなにものかができあがった。それにとろろ昆布の味噌汁である。
「……」
 文は、朝ごはんと対峙している。
 ダイニングの椅子にちょこんと収まった文はわりとコンパクトである。150センチという身長は、ちっさい子好みの多い界隈ではそんなに低いほうではないだろうが、なんかこう、ちまっとまとまっているのである。そのちまっとしたボディにただ伸びただけの黒くてまっすぐな髪が搭載されているとこれもまたかわいいので困ったものである。ほんとはお兄ちゃん美容院とか行ってほしいんだけどね……。
「……」
「ごはんは見るものじゃないでしょ。食べるものです」
「……」
 ちらっと俺を見る。
「だからなんなの。嫌いなものでも混じってた?」
「……そうじゃないけど」
 じゃあなんなのだろう。
「いただきます」
 両手をあわせて軽くお辞儀。かわいいということの力はすごいもので、しぐさの全部がかわいい。江戸しぐさはデマだったが、文しぐさは世界に通用し、また誇るべきかわいいしぐさだが俺以外のだれも知る必要ないです。本来なら世界に分け与えるべきこのかわいさを俺は独占する。つまり、俺が世界……。
 ごはんは粛々と進む。食事どきの楽しい団欒とか我が家にはない。しかし俺は文が咀嚼してる様子を見るだけで満たされるのである。
「……」
「おいしいか?」
「ん」
「よかった」
「けど……」
「うん」
「毎日、ごはん作ってもらって、こんなこと言うのもなんだけど……」
「うんうん」
 今日は文がおしゃべりだ。かわいい。
「お兄ちゃんのその、ありあわせのものでごはんを作る能力はすごいと思う。尊敬する」
 わたしにはできないから。つけくわえてから続けた。
「でも、メニューのとりあわせが、いつも変」
「変か?」
「五目焼きそば、おいしい」
「うん」
「とろろ昆布のお味噌汁も……好き」
 とつとつと語る。
「でも、一緒には……あまり、食べない」
「そうかな」
「うん。相性よくない」
「じゃあ、文としては、五目焼きそばにはなにがいい?」
「ん……」
 文は、首をこてんと横にかしげて考えこんだ。さっきっからかわいいかわいいくどくて申し訳ないが、ふだんどっちかっていうと表情があんまりなくて、態度もそっけない文が、こういう瞬間だけは年よりもあどけない表情をするのが俺はたまらなく好きだ。結婚したい。
 そして文はかわいらしく言った。
「……コーンスープ?」
「ないわ」
 即座に断言した。
「ある。コーンスープ超ある」
「おまえそれコーンスープ食いたいだけだろ」
「好きだもん……悪い?」
 悪いことはない。が、おかしい。
 文は五目やきそばをつつきつつ、とろろこんぶをずるずると吸い込みつつ、その合間に「コーンスープ……」「とろりと濃厚な……」「香ばしいクルトンの……」などとぶつぶつ呟いている。
 そんなこんなで、我が家の朝食が終わる。

 9時になると世間のだいたいの会社は動き出す。朝食を終えたら問屋や営業の人たちと必要な連絡を済ませる。必要なものは昨日のうちに文がリストアップしてある。
 ホームセンターもありコンビニもあり、文房具なんかどこでも買えるこのご時世に、町の文房具屋がしぶとく生き残っていることを不思議に思う人もいるかもしれない。しかし文房具屋には文房具屋しかできないことがある。たとえば学校への納入。先代からのつきあいのある学校とはいまでも取引がある。あるいは配達。文房具なんて小さなもので配達が必要かと不思議に思う人もあるかもしれないが、そういう部分をおろそかにしては町一軒の文房具屋は務まらない。
 10時に営業開始。シャッターを開ける。お客さんはそんなには多くない。それでも1時間に数人はなんだかんだとやってくる。
 古くからある漁港の町の古い商店街だ。なかにはあきらかに客ではない人もやってくる。駐車場を挟んだお隣にある相沢さんなんかはその典型である。
「寒ぃなあ!」
 声がでかい。
 60手前くらいのおっさんだが、とにかく声がでかくて元気である。ちなみに営業時間中の店番はほぼ文がやっている。俺は商品の整理やら配達やら仕入先から随時入る電話やら営業の人の応対やらの裏方作業だ。
「おっ、文ちゃん、今日もかわいいねえ」
 文はこのおっさんが苦手である。ぺこっと頭を下げてそれっきりだ。相沢さんも別に必要以上に絡むことはしない。
「どうだよ景気は」
「ぱっとしないすね」
「ほらあそこの、高橋んとこの」
「ああ、工場ですか」
「そう水産のな。あれ来年工場閉めるらしいな」
「あー、ついに……」
「まあ昔のよかったころはよ、あそこもしこたま貯めこんでたし、息子が跡を継がないってんじゃ無理してやってる理由もないだろうしなあ」
「あそこ、けっこうお得意だったんですよね、うち」
「そうかい。うちは消耗品はあんまり扱わねえからなあ、最近とんと」
 などの世間話をする。
 この町に来てから2年になるが、相沢さんは最初からこの調子だった。コンビニで2年ばかり店長をやっていて「ものを売る」ということにはそこそこ自信があった俺だが、個人商店となるとずいぶんと勝手が違ってとまどうことが多かった。この人にはさんざん世話になっている。
 文相手に「寒いのは俺のふところもだなあ」などと言い、文が応対に困って黙り込んでいるのを確認したうえで、相沢さんは「じゃな、また来るわ」などと言って出ていった。
 相沢さんが出ていったのを確認してから、文がためいきを小さくついた。
「あのひと苦手」
「うん。知ってる」
 だれが見てもわかる。あの人もわかってて文に絡むからタチが悪いよなあ。悪気はないだけによけいに。
「あ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「P社さんの水性サインペン、廃番になるから中村さんとこに連絡しないと」
「中村さん……ってあー、角んとこのあのじーさんか」
「まだ2ヶ月くらい先だけど」
 文は、相沢さんに絡まれたことによって中断した作業に戻る。レジカウンターの内部は完全に文仕様にカスタマイズされている。座りごこちのよい椅子(けっこういい値段だった)と、事務机、机の上にはノートパソコンと、そのほか文房具屋らしくいろいろこだわりの文セレクトによる文房具。足元にはわりと強力な電気ストーブ標準装備、作り付けみたいにすっぽりと隙間に収まった棚は1センチ単位で幅をカスタマイズできるやつをオーダーした。そしてその棚のうえにハムスターのぬいぐるみが3体。色は3色、灰色、ピンク色、水色だ。それは本当にハムスターなのか。ちなみに名前は灰色のほうから順に、店員くん1号、店員さん2号、店員さん3号である。1号だけオスらしい。
 地元の人たちがガムテープだ把捉用の紐だのを地道に購入してるうちに問屋の営業の人が来た。その応対をしてから、俺はひとまず相沢さん情報にしたがって水産工場まで行ってみることにした。向こうに用事があるかどうかは知らないが、顔を出しておくに越したことはない。
「じゃ文、俺、高橋さんとこに顔出してくる」
「ん。おみやげ」
「なにがいい?」
「コーンスープ」
「わかった。帰ってきたら作ってやる」
「ん」
 こくんと文はうなずいた。
 いってらっしゃい。
 小さく文が言うのを聞きながら店を出た。

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