今日は休みでした。昼過ぎに起きてだらだらして銭湯行って、帰ってからメシを作りつつ本など読んでおりました。本は「日本の10大宗教」というやつで、作者は島田裕巳です。まあこの人っていうとどうしても先入観があるわけですけど、レビュー見る限りそうでもないよとのことなので読んでみました。
 まあ考えてみると、この著者、うさんくさいイメージで見られがちなのは、それだけ新宗教の内側に入りやすい体質を持っているからで、その著者が確実な知識をもとに一般向けの新書を書いたらまあおもしろいよね、ということになるのかもしれません。
 知識のレベルとしては、ネットで入手できる程度のものがわかりやすく整頓され、かつ偏りのない範囲で並べられてる、ということで、この本じゃなきゃだめだよね、みたいな部分は特にありませんでした。んで、こういうのこそヒット作品になったりもするわけです。
 まあネット上における新宗教の情報って、あたりまえですけど当事者に近いところから発せられるので、偏向がすごいんですよね。ウィキペの項目なんかもモノによってはその宗教内部での専門用語を羅列して縷々といかにその宗教がすばらしいか書かれていたりするわけで。
 俺はわりと宗教に興味があります。信仰心があるとかそういうことではなく、わりと真逆で、俺は人をすごいと思ったり、なにか超自然的なものに畏敬の念を持ったりとか、そういうのとほど遠い人間だからです。特に人間に関しては、それがどんな人間だろうと、みんなうんこしてオナニーすんでしょ、虫歯になったら歯医者行くんでしょ、と思う時点で尊敬心とか持ちようがないです。確かにすごい人間ってのはいるんですが、それってふつうの人間とは「ボタンが掛け違ってる」程度のことだと思ってます。まあぶち抜けた天才ってのもいるにはいるんでしょうが。
 ボタンが掛け違ってるってのは、ふつうの人のほうが掛け違ってるというような意味あいです。なんていうのかな、人は「自分の理想」「やりたいこと」と、自分が実際にやる行動は噛み合わないんです。なぜかっていうとめんどくさいから。めんどくさいのもそうだし、あとは噛み合わせる方法について、あんがいそれが簡単であっても自分自身の内部のことだと有効なアドバイスをしてくれる人もいなくて、思いつかなかったりもする。世に成功した起業家とか、なんかすごい人とかいろいろたくさんいますけど、こうした人たちは自分の理想と、それを実現する方法と、それを乗り越える困難と、さらに乗り越えたときの達成感などが総合的にうまく機能してそういう場所にいると、まあそんなことだと思います。
 こう考えると、基本的に劣等感ってのがなくなります。そりゃ俺にも陰茎が小さいですとか、まあいろいろ劣等感のもとになるようなものはあるんですが、おちんちんの大きさくらべの現場でなければあまりそういうことは関係ない。押しの強い人、影響力のある人なんかも、それはそういうからくりがあってそのような現象面を人に見せているので、臆する必要も怖がる必要がないです。怖いのは常に暴力(現実的に金を持ってかれるとか脅迫されるとかそういうのも含む)のみです。

 なぜこんなことを書いたかと申しますと、そういう人間にとって、新宗教ってものは存在それ自体が謎なんですな。神格化されてるものを見たら人間の地平に引きずり下ろしたくなるじゃないですか。人が信じてるものがあったらぶっ壊したくなるじゃないですか。だからなんだろ、人の「信じる」っていうメカニズムそのものに興味があると申しますか。
 なので、ほんとはカトリックやイスラムなんかの、宗教のなかに人間のコミュニティがすっぽりとくるまれているような、そういう現場も見てみたいと思うんですけど、俺は日本語以外に話すことができないので、それは書物で知るほかないんだと思います。
 なんにせよ、人が長い時間にわたって彫琢をほどこしてきた宗教ってシステムは大したもので、この内部で生きてきて、なにも疑わず、そのまま80歳になったじーさんとか、ものすごいいい顔をしてる。昨日書いたように、人は長く生きるにつれ「ああ、自分だけじゃ生きていけないなあ」みたいなことを痛感するのがふつうの流れだと思うんですが、そのときに「神様がこの世界をつくった」みたいなことを事実として受け入れて認められるときに、人の感謝ってごく自然に神様に向かうんだと思うんですよね。それはたぶん幸福というものの一形態ではないかな、とも思うんです。

 あ、この本の感想ですけど、新書としてはよくできてると思います。ベストセラーになるのも納得です。

 それと、ひさしぶりになんかエロゲの体験版でもやってみようかなーと思ってアマカノの体験版とか落としてきてみたんですけど、なんかもう巨乳だし、このキャラたちに甘えられてもなあと思ったので起動してすぐにやめました。コンセプトにひかれたはいいけど実際にやってみたら俺別にそういうことしたくないしなあ、と思ったという点ではこいびとどうしですることぜんぶなんかと共通の印象でした。これからちょっとは時間とれるかもしれないので積んでるものでも崩そうかなあと思った次第です。2015年は積みゲーを崩す年とします(言ってるだけ)。

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