えーと新潮新書の「創価学会」(島田裕巳)読んでる中。半分くらい読んだ。俺だいたい乾草んて本を半分くらい読んだところで書いて、書き終わったときにはろくな感想出てこなかったりする。なんかおかしい。
 創価学会については、その、なんだ、折伏ですか、あれを自分の母親が盛んに知人から食らっていたというのもあり、また当時高校生だった俺もそのついでにあれこれ言われてたというのもあり、興味があった。昔からそうなのだが、自分が望まない折伏とやらをされたところで腹を立てるようなことはあまりなく、逆に「なぜそんな精神状態なのか」ということのほうが気になる。で、洗脳みたいなもんなんだ、と聞いてからは「洗脳状態の人にこういうこと言ったらどういう反応するんだろう」みたいなことを繰り返しやってみたりした。その結果、人として腹が立つことはだいたい腹が立つんただなあと思って、洗脳大したことねえな、と思ったのが高校生のころの結論。要は創価学会のことあんまり悪くいうと仏罰とか下るらしいんだけど、いいよ別にと。好きなだけ下せばいいし、その仏罰というものを見てみたいなあ、そこまでひねくれてるものを救えないなんて信心が足りないからだ、俺が翻意しないのはおまえの信心が足りないからだ、もっと自分を捨てるべき、もっと宗教だけに寄りかかって生きるべきみたいなことをさんざん言ったのだが、そうなると腹立つらしい。俺には折伏っぽいことまったくしなくなった。やなガキだなこれ。ちなみにうちのお母様は「その池◯先生が私にいくらくれるっていうの。いますぐ金が必要なんだよ」みたいなことをさんざん言っており、「そういうことじゃないのよ」と信者の人が反論してくると「じゃああんたの金をよこせ。金は大事なものじゃないんだろう。私にとっては大事だ。心が貧しかろうがなんだろうが金がないと人間は死ぬ」みたいな流れになっていた。まあああいうものの洗脳というのはなかなか根が深いようなのだが、それでも自分の生活費だけは譲れないらしく、そう考えてみると、金というものの持つ洗脳能力は宗教なんぞよりはるかに上である。いま思い出したのだが、こうした人たちをあしらうこつって、泥酔した人間に対応するときの技術とわりと似ている気がする。
 まあそんなような経緯もあって、創価学会というものには多少の興味を抱いていた。
 この本は、まだ半分しか読んでないわけなんだが、一人前の学会員とやらができあがるまでの過程についてはまだ書いていない。ここからあとに出てくるのかも。しかし地方から都市に状況してきた人たちが主な構成員だった、ということについては、上記の信者の人がまさにその例だったし、深く頷くものがあった。そういえば子供時代を過ごした団地もたいがいな環境の悪さだったが、学会員は多かった気がする。まあ子供時代の印象なんであてにはならないですけどね。
 ともあれ、的確な叙述でわりと説得力があります。続きが楽しみ。