レジまわりでやることなくなってしまったうえにタブレットブッ壊したので仕事さぼりつつツイッターということもできない。本格的に文章書く以外のことができなくなってしまった。確かにポメラはネットが使えないがゆえに集中できるという特徴があるのだろうが、俺が求めていたのはこんなことじゃない。こんなことじゃないんだ……。
 さてポメラを起動したからにはなにかを書かなければならぬ。昔はこういうとき本当にくだらない内容でいくらでも文章を書くことができた。あれはなんだろうなぜいまできないんだろうと考えるに、老化じゃないのかという話があるが、それは全力で拒否しておく。四十代なかばはまだ老化してない四十代なかばばまだ老化してない……。なんか最近もう老化しててもどうでもいいや的な気分になりつつありますけどね……。
 そんで、なぜ本能の赴くままに書けなくなったか問題なんですが、これ単純に一度は「読まれた」経験をしてしまったからだと思うんですね。一定の数の人間に読まれるということはつまり期待されてるってことです。そしたら期待は裏切りたくないって気分になるじゃないですか。つまり「価値のあるものを届けなければならない」というような義務感が発生してしまう。プロってのはその義務をきっちりと果たす人のことをいうわけですが、俺は素人です。
 最近はブログ界隈もわりと様変わりしているようで、ゆるい感じの日記とか雑記の延長線上のブログが目立つところにすっかり出てこなくなりました。まあネットはもはや「みんな」のための場所であり、そうなるとジャンルの比率は限りなく「ふつうの本屋」に近づいてくるものだと思うんですよね。そういう状況で個人のぼやきのようであるブログなんてものは別に必要とされていないのかもしれません。もし本屋の店頭でそういうことが認められているジャンルがあるとしたら、たぶん芸能人が書いた本だけでしょう。
 いいとか悪いとかの問題じゃなく、これはもう「そういうもの」でしかないです。
 願望としてロックでありたいということはありますね。これがなかなか難しいところなんですけど、読み手を意識して段階でもうそれはロックじゃないですね。純然たる自意識の発露でありながら、それがそのまま他人の娯楽になってるような、そういう場所をめざしたいです。かつての俺はそれができていただろうか。できていた、ということになっていた、くらいの感じだったと思うんですが。